誰も理解できない文章に価値はないのか?

 

現在、夜中の1時頃であるが、私のしていることを簡潔に表現するならば、「ひっくり

 

返ったカブトムシを、竹のわりばしで起き上がらせている」といえるだろう。

 

 

 

夜中に目覚めたのである。

 

そうしたら、私が飼育しているカブトムシたちが飼育ケースの中でブンブン飛んでい

 

て、そして、ひっくり返ってしまい足をばたつかせているのである。

 

親切な私は彼ら(正確には4匹いる)を起き上がらせてやるのだが、手でやると、カブ

 

ちゃんたちが私の腕にのぼってきてしまいひどく痛いのだ。

 

そこで仕方がないのでわりばしさんの登場である。

 

わりばしでカブちゃんの体をつかむと、力が入りすぎてカブちゃんをつぶすことなく起

 

き上がらせることができる。

 

我ながら上手なやり方だ。

 

 

 

だがしかし、なんだかこれでいいのかという気もする。

 

私は45歳を過ぎたおじさんである。

 

年相応の立派な肩書きを持っているわけではないが、中年男性であるのは間違いない。

 

 

 

その私が真夜中にわりばしでカブトムシをひっくり返しているというのは、なんとも間

 

抜けなことではないか?

 

もっとほかに生産的なことはできないのか?と考えてしまうのである。

 

 

 

例えば仕事の準備(私の仕事は学習塾の講師である)なんかすればいいではないか。

 

そう思ったりもするのだが、根が真面目な私はすでに授業の準備を終わらせている。

 

ほかにすることといっても、なにぶん真夜中のことであるし、ヘッドホンで音楽を聴い

 

たりしていては、カブちゃんたちがひっくり返って足をばたつかせている音が聞こえな

 

くて困る。

 

 

 

というわけで、私は不毛なネットサーフィン(死語)をしながら、カブちゃん

 

たちのお世話をするしかないのだ。

 

 

 

まあしかし、私はカブトムシをひっくり返すか、子供たちに勉強を教えるのが仕事だと

 

考えて、今夜も働くのである。

 

 

 

む~、今日はこれでおしまい。

 

さよなら。